1: :2014/01/29(水) 13:50:49.47 ID:
【奇跡の回復へ…昨年の中山大障害で脱臼発症のメルシーエイタイム、回復順調で美浦トレセンから栗東トレセンに無事輸送】の続きを読む
昨年の12月21日に行われた中山大障害で左第趾骨関節脱臼を発症し、美浦トレーニングセンターの競走馬診療所で手術、入院していたメルシーエイタイム(牡12・武宏平厩舎)が、1月28日(火)の18時、栗東トレーニングセンターに向けて出発した。
北尾俊幸調教助手と久し振りに再会したエイタイムは、出発を前に治療に携わってきた診療所の獣医師や、栗東に戻った北尾助手のかわりに世話をしてきた並木秋雄さんらに囲まれて、しばし記念撮影。
その後、北尾助手に引かれて入院馬房から出てきたたエイタイムの姿は、長い闘病生活を送っていたとは思えないほど、凛としていた。そして左後ろ脚は引きずっているものの、慣れ親しんだ栗東に帰るということがわかっているかのように、実に力強い足取りで自ら進んで馬運車に乗り込んだ。やがて馬運車の後ろ扉が閉められ、エイタイムの姿は見えなくなった。
獣医師と並木さんは、栗東に向けて走り出した馬運車を、診療所の敷地を出るまで見送っていた。
ヘルパーの並木さんは言う。「私は何もしていないよ。馬が頑張ってくれた。我慢強かった」と。
けれども、運動のできないエイタイムには、疝痛の危険もあった。「それが1番心配だったから、餌は工夫したよね」
今は定年している並木さんだが、厩務員生活は実に40年に及び、カツラノハイセイコが勝った1979年の日本ダービーでハナ差の2着となったリンドプルバンを担当していた腕利きだった。
主治医の小林稔獣医は、エイタイムが故障した時は中山競馬場にいた。エイタイムの脱臼は、完全脱臼ではなく、亜脱臼であったため、予後不良という最悪のケースではなく、生かすという方向に動いていった。
そして、小林獣医を中心としたチームが、術前、手術、術後とエイタイムを救うために力を尽くした結果、手術は無事成功した。だが問題は術後だった。合併症や、疝痛などの心配があったからだ。
だがエイタイムは、持ち前の生命力でそれをも乗り越えた。
続きは
netkeiba.com
http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=83722&category=A
http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=83726&category=A
北尾俊幸調教助手と久し振りに再会したエイタイムは、出発を前に治療に携わってきた診療所の獣医師や、栗東に戻った北尾助手のかわりに世話をしてきた並木秋雄さんらに囲まれて、しばし記念撮影。
その後、北尾助手に引かれて入院馬房から出てきたたエイタイムの姿は、長い闘病生活を送っていたとは思えないほど、凛としていた。そして左後ろ脚は引きずっているものの、慣れ親しんだ栗東に帰るということがわかっているかのように、実に力強い足取りで自ら進んで馬運車に乗り込んだ。やがて馬運車の後ろ扉が閉められ、エイタイムの姿は見えなくなった。
獣医師と並木さんは、栗東に向けて走り出した馬運車を、診療所の敷地を出るまで見送っていた。
ヘルパーの並木さんは言う。「私は何もしていないよ。馬が頑張ってくれた。我慢強かった」と。
けれども、運動のできないエイタイムには、疝痛の危険もあった。「それが1番心配だったから、餌は工夫したよね」
今は定年している並木さんだが、厩務員生活は実に40年に及び、カツラノハイセイコが勝った1979年の日本ダービーでハナ差の2着となったリンドプルバンを担当していた腕利きだった。
主治医の小林稔獣医は、エイタイムが故障した時は中山競馬場にいた。エイタイムの脱臼は、完全脱臼ではなく、亜脱臼であったため、予後不良という最悪のケースではなく、生かすという方向に動いていった。
そして、小林獣医を中心としたチームが、術前、手術、術後とエイタイムを救うために力を尽くした結果、手術は無事成功した。だが問題は術後だった。合併症や、疝痛などの心配があったからだ。
だがエイタイムは、持ち前の生命力でそれをも乗り越えた。
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